写真x
写真00
非常に造りのよいハドソンの14年式拳銃・N−3です。
N−3とはハドソン社内での南部モデルガン3代目という意味でしょう。
N−2から7年後の1997年に登場しています。意外と早めの入れ替え登場です。
写真のホルスターは実物です。

写真01
ほっそりしたスマートな拳銃です。エッジや刻印などもきりっとして良い出来栄えです。
トリガーバー中心位置のピンがN−3では、黒色のネジに変えられています。
N−2はメッキのピンですので、ここで簡単に識別できます。
写真02
本来はシリアル番号があるところに開発年である97(1997年)の刻印があります。
N−2の平成の「 平 」刻印は、なくなりました。

登 場

写真03
Gun誌1997年7月号に価格が載りました。発売自体は数ヶ月前からアナウンスされていましたが、実際に価格が発表されたのは、 この号です。写真は次の年になるまで掲載されませんでした。ハドソンは、長物の発売で忙しかったようです。プラ製のグリースガン が登場しています。

外 観

写真04
N−1と違って、マガジン抜け落ち防止の板バネが実物同様に再現されました。
 
翌年に発表された前期型トリガーガードのN−3には、このパーツがありませんので、マガジンには切れ込みが無いのが本当ですが、 N−3マガジン前期型を見たことが無いので知っている方がいらしたらぜひ情報ください。
写真05
平成刻印は、評判が悪かったのかN−3では昭和刻印になっています。
しかし、昭和08年と刻印された実銃南部の写真を見たことがありません。昭和7年などと、ゼロは刻印されていません。 ゼロ付きもあったのかもしれませんね。
 
名古屋工廠マークです。もともと14年式拳銃は名古屋造兵廠で開発された物です。その次の丸に四角のマークは、実は 丸にカタカナのロで、セカンドバージョンを示しています。ん??ということは昭和8年は早すぎじゃないでしょうか? と、調べてみたらダルマ型トリガーガードは昭和14年からじゃぁありませんか・・・頼みますよハドソンさん。 せっかく力の入ったモデルなのに突っ込みどころ満載です。
 
名古屋造兵廠の刻印
この刻印が一番左にあり、民間が作った物はその右にメーカー刻印が打たれます。
それに続いてシリアルナンバーが打たれています。
14年式拳銃は、すべてその順番ですが小銃などには所轄工廠とメーカー刻印が逆な物もあります。
丸にロは、イロハのロでセカンドバージョンを表します。
 
ちなみに他にも以下のものが14年式拳銃には見られます。
 
東京造兵廠のマークですが、昭和 8年に小倉へ移転しましたのでそれ以降の製品マークは 東京/小倉 工廠と呼ばれます。
南部銃製造所のマーク
軍隊を引退した南部キジロウ氏が作った銃器製造会社。
ここで作られた軍用品にはメーカーマークの左に所轄工廠の刻印が押されます。
丸にカタカナのイ、ファーストバージョンマーク
 
造兵廠は東京、名古屋、大阪にありましたが、小銃、拳銃は東京と名古屋でしか作られていませんのでマークも2種類です。 東京工廠は1933年(昭和8年)に小倉へ移転しましたがマークはそのままなので東京/小倉 と記載されることが多いです。
 
これらの知識は以下のモーレツ「ナンブ・レディ」おばちゃんのページから引用しました。
素晴らしいページです。ぜひ見てみてください。
それにしても日本語で書かれたページに 情報がまったく無いのに腹が立ち、情けなくなります。 http://members.shaw.ca/tju/jhg.htm
 
刻印については、以下ページに詳しい記述と鮮明な写真があります。
http://members.shaw.ca/nambuworld2/t14markings.htm

前期、後期

写真06
以前にいただいた海外日本人コレクター様の写真とハドソンを並べています。
N-2、N-3 ともによく再現されていると思います。ただ、マガジンが後期型はブルー仕上げなのが本当ですが、N-3 ではメッキになっています。
 
グリップミゾが前期と後期では本数が違いますが、ハドソンもちゃんと再現しています。
ただし、この変更は、すべての14年式拳銃には当てはまらなかったようで、昭和18年製の簡易型コッキングピースの物にも 多い溝のグリップが付いている写真がたくさんあります。おそらく初期型のグリップパーツがなくなるまでは流用されたのではないかと思います。

実銃の14年式拳銃は、何度もバージョンが変えられていますので、ほんとうは前期、後期と簡単には分けられません。

大正 14年1925年正式採用
昭和 9年1934年マガジンセフティ追加
昭和 14年1939年トリガーガードだるま型に、撃針延長
昭和 15年1940年マガジン脱落防止追加
国際出版「世界兵器図鑑・日本編・小橋良夫著」より

ストライカーの長さは、4回くらい変わっているのですが、現在友人に洋書を貸していて今はわからないので、後日追加記載します。

メカニズム

写真07
N-2 同様にフレームは分割構造です(写真ではバラしていません)。
全体にN-2 からはマイナーチェンジくらいしか変わっていません。
写真08
大きく変わったのは、ファイアリングシステムです。実銃のようなN-2 に対しN-3 はキャップ火薬になったため センターファイアで撃針+ストライカーの分割構造になりました。
これで折れにくくなったと思います。実銃もストライカ先端がすぐ折れたそうです。
写真上がN-2 で、実銃のようにストライカーのみで撃発します。写真下はN-3です。ストライカーは短くなっています。
写真09
このようにボルトの中に本当に打撃する撃針が別パーツで入っています。
写真11
カートは、キャップ火薬式のセンターファイアです。1個実物ダミーカートを並べていますが、ハドソンのカートも同じくらいの大きさです。 ただし、この個体のマガジンは、すこぶる調子が悪いため4発くらいしか入れられません。
写真10
N-1 の時代から続くトリガーガード止めのピンです。実銃には存在しませんが、本物のようにギチギチで製作できない鋳造品ですので 、ピンで止めないとトリガーガードが落ちてきます。
マルシンのベビー南部も同様にネジで止まっています。

紙 箱

箱写真
晴耕雨読 chukichi-hide さんのブログから写真を頂きました。 いつも有難うございます。
N-3 には、このほかにハドソン廃業に向けた在庫処分品の簡易BOX も存在します。
 
箱写真2 こちらの箱がそうです。モデルガン讃歌 papa さんのブログからお借りしました写真です。
有難うございます。
中身の製品も仕上げが荒いそうです。取説もコピーで痛々しい状況ですが、ハドソン最後の販売品ということでたいへん希少な物だと思います。

おわりに

写真12
見た目は大変に良く出来たモデルガンですが、この個体の作動は全然駄目です。マガジンリップに問題がありそうです。 まぁハドソンさんはマニアが喜ぶ製品が多いので目をつぶっておきます。なんたって40年も前から唯一の日本軍拳銃をモデルガン化 してくれている会社ですから。

この写真のダミーカートは、大変に凝ったつくりのものです。今度レポートしてみたいと思っています。

小倉造兵廠は、戦後アメリカに摂取されていたために開発が遅れ、私が中学生の頃までその広大な敷地、建物は存在していました。 広いのでユーコンを飛ばして遊んでいました。機械類なども放置状態で不気味でした。本当は原子爆弾で跡形もなくなっているところでしたが 当日の天候が悪くて長崎に落とされました。現在ではマンションが立ち並んでいますが、私はあの廃墟をしっかり覚えています。

おまけ分解図

分解図