写真00
私が子供だったころ、MGCはマニアックな会社ではないと思っていました。それは、実物メカを再現していないことから CMCと比較してそう思っていました。しかし、それは間違いでした。大人になって判りました。
こんなマニアックな会社があるだろうかと言うほど「てっぽー好き」な会社でありました。
ここに紹介するのも、マニアックじゃなきゃ絶対に作らなかったであろうコルト・51ネービーです。

写真01
この借りてきたモデルは、かなり初期の物らしく、フレームのネジが3本とも生きています。
また、後述しますがエングレーブシリンダーが装備されています。

写真02
このGun は、なんともスマートで、形が完結している銃です。
もっとも、オープントップの実銃は、実際に数多く撃っていたら、だんだんバレルとシリンダーの隙間が開いてきます。 強度的に問題があったので、レミントンなどのソリッドフレームにやがて取って代わられました。

写真03
大きさは、ネービーのあと20数年して世に出たコルト・SAAのキャバルリーと同じです。
写真右はCMCのモデルガンですが、たぶんサードシリーズの実物グリップを付けています。
 
グリップの形状やトリガー、ボルト機構などほとんど変わっていません。
51ネービーはSAAの祖先になります。

写真04
HWSのウォーカーモデルと並べています。ウォーカーは、やたらでっかいです。
金属製だったら、とても片手では 持てないかもしれません。
 

実銃の歴史

パターソンで世界初の回転式拳銃を世に送り出したサミュエル・コルトでしたが、高価すぎる値段に売れ行きは芳しくなく、 あえなく倒産します。その数年後、テキサス・レンジャーのウォーカー大尉の要望で作られたのがコルト氏の起死回生となる 44口径ウォーカーモデルです。その後、ドラグーンシリーズを経て1849年に31口径の49ポケットと36口径の51ネービーが開発されました。
当時は36口径の銃のことを一般にネービーと呼んでいました。44口径は、アーミーです。べつに軍の採用で名付けられた物ではありません。
 
テキサス:当時はメキシコから勝手に独立した共和国で、その国の軍隊をテキサスレンジャーと呼びます。その後、テキサス共和国はアメリカと併合しました。

写真05
ウォーカーモデルから、たったの2年しか経っていませんが、未来の銃とも思える完成された形になっています。
コルト社の全てのアイディアを搾り出して作られたモデルなのでしょう。
この形を見ているとアメリカンドリームの典型だなぁと思います。
 
「優れた革新的な原案」であるパターソンと、「ユーザーの要望」であるウォーカー、そうして「熟成技術」が施された ネービーとポケットの登場は、100年以上続くことになる、コルト王国を築き上げました。
歴史に「もし」は禁句ですが、パターソンが売れずに会社が倒産したからこそ ワンマン技術者のコルト氏でも、人の話におおいに耳を傾け、立派なウォーカーモデルを完成させたのではないかと思います。

登 場

写真24
1969年1月号(昭和44年)のMGCニュースの左下に小さく次期モデルとして掲載されています。 創立10周年記念という重大なモデルだったのですね。

写真25
1969年5月号(昭和44年)のMGCニュースに5000円として登場しています。

MGCのアイディア

写真20
パーカッション銃というマニアックな物を製品化したMGC も多くのアイディアを詰め込んでいます。
ひとつは、このローディングレバーの機構です。レバー先端のラッチは、モールドで一体鋳造です。言われなければ気付かないほどよくできています。そのかわりレバー自体が後方へ動くようにバレルとの結合部は長円となっています。
この処理で、細かいパーツ、ピン、あとからの穴あけ加工、が省略できています。

写真06
かつては、写真のようにボルトのネジは、何の役にもたっていませんが、飾りとして生きたネジでした。が、後年になり省略されます。
ウェッジキーは、最初からモールドですが、ネジはかつては生きていたようです(分解図参照)。
写真07
これも分解図を見ると判るのですが、ニップルも当初は別部品でした。これも後年に省略されます。写真は別パーツ式です。
省略はMGCにとって正義だったのでしょうが、子供だった私は実銃構造の再現こそモデルガンの鏡だと思っていました。

写真08
写真の下側がsm期のモデルですが、ボルトネジはモールドになっています。また、ウェッジキーの四角い穴は浅くなっています。
昔のモデルは、ここが深いので、まるで本当にキーが刺さっているように見えます。

刻印

写真09
古い方のモデルの刻印です。sm期にはバレル刻印はありません。

写真10
フレームにも古いモデルは、実銃のようにシリアルが刻まれています。写真真ん中がそうです。
それ以外はJAPANとのみ刻印されています。

メカ

写真11
メカの最も大きな特徴は、センターシャフトをバレル側に持ってきたことです。これによって、面倒なキー部分の加工がまったく必要なくなっています。 適価で売らなければ成らないモデルガンとしては、正解だったと思います。また、当時の亜鉛合金の強度を考えてもこの構造が妥当で しょう。
撃発機構は、スターム・ルガー式です。またMGC SAA と多くのパーツが共用になっています。
写真12
実銃の構造は1997年にCAWの初の作品として登場したプラ製ネービーで再現されています。
写真左のようにフレームからシャフトが延びています。

写真13
この実物のシャフト形状をMGCは、ごく初期には再現していました。
頂き物の写真ですが、凝った機械加工がなされています。
MGCネービーも最初は、すごく凝ったモデルだったんですね。

弱点

写真15
MGCネービーの最大の弱点がバレルとの連結部です。ここが良く折れます。修繕は効きませんので折れたらパアです。
(特殊な溶接は出来るようです。4枚上の写真10の右端は溶接による修繕品です。)

写真16
また、ローディング部分の先端のプラスチック部品が紛失している物をよく見かけます。
この写真のものは、MGCオリジナルです。

CAWと比較

写真14
試しにCAWとシリンダー交換してみました。ちゃんと入りますね。大きさは、ほぼ同じです。
CAWに付けた感じは、ずっしりして良いですね。CAWさん、レミントンのように重いシリンダーを発売していただけないでしょうか?
写真17
MGCネービー登場と、どちらが早かったのかは知りませんが、同じ1969年にCMCからレミントンが発売になりました。
同じパーカッション式の拳銃ですが、違う機種で真っ向から勝負とは気持ちの良い戦い方です。
CMCはMGCに対抗していたのでしょうか?

おわりに

写真18
写真のMGC4インチは、個人カスタムです。
 
アポロ11号が月面着陸を果たし、世界中が酔いしれていたころMGCネービーは発売されました。
それから28年後に初めて実銃のネービーメカを再現したCAW製品が発売になりました。
またそれは2010年の現在でも再販されています。弾が出ない、単なるオモチャで、しかもパーカッションと言うオールドなGun ですが、 長い間にわたってガンマニアに愛され続けています。
このコルトの歴史的逸品である、51ネービーをモデルガン化してくれたMGCやCAW、パターソンやウォーカーを売り出した HWSは、そうとうにマニアックな会社だと改めて発売してくれたことに感謝をしています。

オマケのお話

写真22
このカタログは1971年(昭和46年)ニューモデルの物ですが、これによると彫刻入りシリンダーは1000円ですね。
この年の終わりころに金色規制が施行されましたので黒い金属 Gun は見納めになりました。

写真21
MGCの彫刻シリンダーが、どれくらい再現されているのか、実物のイラストと比較してみました。
上が実物イラストで下がMGCシリンダーの鉛筆拓本です。彫が浅いため、うまく転写できませんでしたが、実物どうりの再現がわかります。 余談ですが、この拓本によって各ノッチ溝の間隔が1mmほど違いがあることが判りました。ですから、いくら完璧にハンドなんかを調整しても 作動に誤差は必ず生じます。
 
イラストの左側2隻がテキサス海軍の船で、右の数隻が敗れて背走するメキシコ艦船です。
逃げるメキシコ船が蒸気船なのに対し、テキサス軍は帆船のようです。
この戦いは、カンペチェの戦いと言い、1843年にメキシコ湾でテキサス軍が勝ったものです。 そののち1845年にアメリカに望んで併合されました。アメリカにとって、いくさで領土を拡大できた、大きな喜びの記念だったのでしょう。 この海戦の彫刻は、よく銃に彫られています。英語ですが下記ページが参考になります。
 
http://www.texasnavy.com/combat.htm
 
また、使用した海戦イラストは下記のPDF ファイルからです。
 
http://users.rcn.com/robertbrecht/tobias/PDFs/engaged_text.pdf
 

写真23
カンペチェとメキシコ湾、テキサスの位置関係はこうですね。
この戦いから10年後、ペリーが黒船で日本にやってきて、51ネービーを将軍に献上したそうです。 そのネービーは、現在では行方がわからないそうですが、きっと凄い彫刻がなされていたのではないかと思います。
 
今の世のシリンダー彫刻に、「迫る黒船と、逃げる徳川艦隊」が刻まれていなくて良かったですね。明治維新に感謝です。
もっとも太平洋戦争後は似たような形にはなりましたが・・・。

写真19
今夜のニュースで尖閣諸島の事件を大きく取り扱っていますが、いつの世も領地の分捕り合戦は、続いていくことなのでしょう。

おまけ

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