1950年代にトレーニング用やホルスター用に作られたと思われるアメリカ製の文鎮たちです。 Lytle 社で作られました。リットルと読むのかライルと呼ぶのか分かりませんが、 とりあえずライトル社ということにします。

このたび大変貴重な鮮明なるカタログ資料を匿名様から頂きましたので ここにご紹介させていただきます。また、併せて日本のモデルガン黎明期のお話も掲載しました。

資料頂き有難うございました。


文鎮カタログ表紙

写真00 裏表紙を見ると部屋に飾るための物だったようにもありますね。
全部で16種類が掲載されています。 物は、アルミか亜鉛製の鋳造品、いわゆる文鎮で可動部分は全くありません。

1ページ

写真01 各モデルには簡単な題名が付けられています。左上のモーゼル拳銃にはミステリアス、右下のルガーには versatile=多用途 と書かれていてストックを付けてライフルのようにも使えると書かれています。 右上のアイバージョンソンなんてモデルは、日本人にはなじみが薄いですね。

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写真02 2ページ目は見慣れたものばかりです。パパ南部はinfamous= 悪名高い なんて書かれちゃっています。1950年代ですから真珠湾の記憶も近いころです。 ブローニングはバレルの長い1922の方ですね。モーゼルC96 はセフティが上がっています。

3ページ

写真03
写真09 左上のチェコの銃は、ゲシュタポが使った notorious=悪名高い と書かれてます。
Cz 24だと思います。 右に参考写真

右上のガバメントは、A1ではなくって
1911モデルです。
reliable=信頼性のある と 書かれています。


一覧写真

写真07 写真08

どれも出来は良さそうで、きちんと製作されているようです。

↑写真はこちらから取ってきました。
https://www.mdshooters.com/showthread.php?t=136204

写真を見やすくするため明るく加工してみました。↓

写真23


モデルガン登場??

写真10 観察眼の鋭い方は、すでに気付いていらっしゃるでしょうが、ライトル社カタログの表紙一番下にモデルガンという言葉が登場しています。

いままで、私はモデルガンという言葉は、MGC 会長が作られた和製英語だと思っていましたが、このように 英語圏でも使用されていた可能性があったんですね。驚きました。
まぁ、その後は、あまり使用されなかったと思われる言葉ですが モデルガンという言葉のルーツを辿れたようで感動しました。

写真06 ちなみにMGC は1960年ころに作られた会社なので ライトル社カタログの1956年の方が古いです。右はMGC カタログNo.1 です。当時は日本モデルガン・コレクションと名乗っていたようです。

それでは、ついでにモデルガンという言葉が日本でいつごろから使用され始めたのか調べてみましょう。


洋酒天国43
1960年

写真05 写真04

1960年2月発行と印刷されていますので年頭くらいに出版されたのではないかと思いますが、この冊子には モデルガンという言葉は出てきません。が、この写真に登場するアメリカのキャップガンたちが、のちのガンブームを 引き起こしたと言われています。

今見るとチープな子供用のオモチャにしか見えませんが、終戦後に食べる事の方が精いっぱいで、子供のオモチャなんかまったくなかったころのお話です。また輸入自由化もなっていませんでした。舶来品は、遥か高価なものでした。

ピストルの形のトイ自体が世の中に無かった時代ですので、これらのキャップガンたちは 大人の高級収集アイテムとして迎えられました。


MGCチラシ2号
1961年1月?

写真21 写真22

MGC の冊子第2号です、これはまた別の方からのいただき資料です。
有難うございます。

時期は分かりませんが、映画アラモのことが詳しく書かれていています。同映画は日本では1960年12月公開となっていますので この冊子は1961年1月ごろに書かれたものでしょう。第2号がこの頃なので創刊号は1960年後半に発行されたものでしょう。 そのころから、モデルガンという言葉が使われ出したと考えて良いと思います。


国際チラシ
ガン1号
1961年5月?

写真17 写真18

国際出版のGun が出版されるよりも前の国際ガンクラブのチラシ1号です。 MGC を追っかけて同様の冊子を発行したと思われます。

このチラシ1号でも、モデルガンという言葉は使用されています。この冊子も発行時期が分かりません。 隔月発行の第 2号に荒野の 7人を見たという記事があります。同映画は、日本での公開が1961年 5月だそうですので 映画を見てチラシ2号が発行されたのが 7月とすれば、この第一号は1961年 5月頃なのではないでしょうか。


国際チラシ
ガン5号

写真19 写真20

この号にはLytle 社の文鎮を輸入 しますと記事があります。

「いよいよガンマニアの夢実現」とあります。 たかが文鎮なのですが、それでも貴重なものだったと思われます。でも4000円って当時としては高いですね。
右側の文鎮イラストはLytle 社の今回紹介したカタログのイラストをそのまま使用しています。いくつか反転になっています。


拳銃ファン創刊号
1961年10月

写真11 1961年12月発行の雑誌、拳銃ファン創刊号にあるのちのコクサイの広告にすでにモデルガンという言葉が使われています。 また、その中に赤で囲ったものがMGC 製品です。左はハブリーを黒くし木製グリップに交換しています。また右側は マテルスナブノーズを黒くして販売しています。

拳銃ファン第2号
1961年11月

写真12 1962年1月発行の第2号には、私が勝手にモデルガン第一号と名付けているMGC の逆スライドアクションのコルト・スペシャルと それを変形して作られたワルサーP38 が載っています。他のキャップガンに比べるとすごく高価ですね。 ホンリューのモーゼルはもっと後の登場になります。1962年9月号に広告が載ります。

拳銃ファン2号
ガンブーム記事

写真13 写真14

拳銃ファン第2号よりGun ブームの記事です。ブームは洋酒天国の記事から始まったと書かれています。また、当時盛んにテレビ放映されていた アメリカ製西部劇もおおいに影響ありと書かれています。 おかげで日本の最初のGun マニア たちはSAAファンばかりです。


拳銃ファン2号
トイガン製造記事

写真15 写真16

こちらはトイガンを作る方の記事ですが、明光産業というメーカーとMGCの記事です。若き小林さんも登場しています。 明光さんはコンドルデリンジャー事件の会社でしょうか?

日本MGC 協会は、輸入キャップガンの色を変えたりグリップを変えたりしていたころの記事なのですが、この号の 広告にはすでに小林オリジナル機構のコルトスペシャルが登場しています。

こうやってながめて見るとガン・ブームのスタート時点で中田商店、MGC、コクサイ と、このあと50年近く モデルガン界の中心にいることになる人たちがすでに全員登場している事が分かります。


おわりに

2022年12月、寒いウクライナでは電気インフラもロシアに破壊されつつあり、トイガンどころではない、生き延びることが大変な状況です。

わが日本では、いろいろ規制はありますが、形さえそっくりなことで納得するならば、どのような銃器の模型も 入手出来る世の中であります。平和で良かったなぁと思うのですが、この平和がタダで存在しているものではなくって、 先の戦争での大いなる犠牲や戦後の団塊世代の先輩方の粉骨経済活動によって成り立っていることも 忘れてはいけないことだと改めて思う次第です。


匿名様、この度は、貴重な資料をいただき有難うございました。
おかげでモデルガン黎明期のことなど記事を書かせていただきました。
有難うございました。